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- 糸数アブチラガマ|南城市
糸数アブチラガマは、沖縄本島南部の南城市玉城字糸数にある自然洞窟(ガマ)です。 沖縄戦時、もともとは糸数集落の避難指定壕でしたが、日本軍の陣地壕や倉庫として使用され、戦場が南下するにつれて南風原陸軍病院の分室となりました。
- 糸数城跡・糸数アブチラガマ|ウワサの心霊
糸数城跡は、琉球王国が成立する前の14世紀前半に築かれた城の遺跡で、玉城城を守るお城として機能していた。 その近くには沖縄戦当時のままで保存されている糸数壕(糸数アブチラガマ)という自然洞窟がある。
- 沖縄県南城市糸数にある「糸数城跡」 | 黒しばわんこの戦跡ガイド
糸数アブチラガマのすぐ近くです! ! 南城市糸数には糸数アブチラガマがありますが、その向かいの小高い丘の上には 糸数城跡 があります。
- 糸数城の歴史と魅力 - 縄張りマニアの城巡り
糸数城は丘陵に築かれていますが、玉城城方面には高低差がありません。 その弱点を補うため、東側に高い城壁を築いています。
- 見捨てられた凄惨な歴史『アブチラガマ』(南城市) | シマ . . .
南城市にあるアブチラガマは、沖縄地上戦の凄惨さ、そしてひめゆり学徒隊の活躍を語る上で忘れることのできない場所。 避難所、軍事施設、そして陸軍病院として利用されていましたが、その歴史は悲しく恐ろしい。
- 沖縄旅行記(6)~糸数城、アブチラガマ、平和祈念公園: 旅と . . .
糸数城は14世紀始めごろ、玉城城の玉城按司が西方への守りとして、三男を糸数按司として任じ築城させたといわれています。 戦争により一部破壊されましたが、今に至るまで城壁はよく残っています。 城跡には、やはりアサガオが咲き乱れていました。
- 糸数城~沖縄県南城市~ - 裏辺研究所「日本の城」
付近にある糸数アブチラガマで展示されているもの。 こちらは1945(昭和20)年3月に日本陸軍の独立重砲兵第百大隊が布陣した際に配置された2門のうちの1つ。
- 沖縄県のガマと地下壕:沖縄地方のガマと特殊地下壕(防空壕)
代表的な地下壕は, 糸満市:轟壕(トドロンガマ・トロドンガマ), 糸満市ひめゆり壕(チブラーアブ), 南城市糸数壕(アブチラガマ), 八重瀬町:ヌヌマチガマ・ガラビガマ などです。 左の写真は,南城市の 糸数壕(アブチラガマ) で,病院として使用されていました。 石灰岩の天井(天盤)の黒い部分は,「アメリカ軍が,石油の入ったドラム缶に火を付けて投げ入れたために焼けた」,「火炎放射機によって焼けた」という説明がありました。 アメリカ軍の侵攻に伴い,摩文仁など南方へ撤退すること伴って「重傷者が置き去りにされて多くの民間人と軍人が死亡した」という,歴史的な戦争遺跡です(合掌)。 糸数アブチラガマ に申し込むと,ガイド付きで入場することができます (有料)。
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